がらくた通り

人によってはがらくた同然のものでも一個人の形成には不可欠だったりする。自我の源泉をたどる旅におつきあい頂けたら幸いです。

1965年製 ストラトキャスター 10回目

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レス・ポール(ヒストリックコレクション)だと
どうしても扱いに気をつかってしまいますが
このギターはもともと傷だらけだし、
作りも丈夫だから多少ぶつけても気になりません。
今でもよく手にします。

でも手にする度にあることを思い出してしまいます。

32歳で肺がんで亡くなった
高校時代のクラスメイトH君。
リッチー・ブラックモアが大好きで
バンドもずっとやっていて
沖縄のハードロックバンド
「紫」の宮永英一氏とも面識があると
よく自慢げに語ってました。

そのうちススキノで自分のお店を持ったH君。
彼は1972年製のストラトキャスター
所有してましたが
経営が大変だったのか、
ある日、
僕にそれを買わないかと持ちかけてきました。

いささか言い訳じみてますが
結婚もして子どももいて
おまけにギターのローンも残っている
自由に使えるお金も持ち合わせていない僕は
断ってしまいました。

H君にとっては命ともいうべき
そのストラトを売ろうと決心したくらいだから
よほど経営が苦しかったのだと思います。

亡くなった翌日、
クリスチャンだった彼の通夜は
教会で行われました。
若い命が無くなるというのは
なんというのか、せつない。

H君、もうお金の心配はいらないよ。
天国でジミヘンやコージー・パウエル
思いっきりセッションしてください。

H君の死は僕に教えてくれました。

生きている。
それだけで可能性は無限。

たとえ才能があろうとなかろうと
まったく関係ありません。
生きているということは
道が続いているということだから。

道は続く。

生きている人にとって当たり前の真理が
実はこの上ない贅沢なことなんだと。

もちろん迷いもあるし、振り返りもする。
誰もが普段すること。
しかし僕らに与えられている時間には限りがある。
立ち止まってばかりもいられない。

目指すゴールに向かい
あとは自分の道を歩くだけ。
迷いは禁物!

〈つづく〉

ディープ・パープル「Speed King」


Speed King - Deep Purple - YouTube

 

 

1965年製 ストラトキャスター 9回目

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1965年製 ストラトキャスター
購入を決めた時は嬉しかったし、
失恋の悲しみも忘れられる気もしたが、
そんな気持ちは現物を手にするまで。

悲しみを
物欲を満たすことにより生まれる
満足感でごまかしてた気持ちなんか
現物が手元に届けばほどなく消える。

やはりお金で気持ちは買えないと実感。
お金があれば何でも買えるのは確か。

しかし、それは言い換えれば
お金で買えるものだけしか買えないということ。

お金で買えないものは世の中にはたくさんある。
お金で買えるもの以上にたくさんある。

しかし、生活に必要なお金はやはり必要。
粗末にはできない。

問題はそれを使う人間なのだと思う。

いや、違う。

人間がお金を使っているのではなく、
お金に使われているのは人間の方だ。

この世にはお金にまつわる
トラブルや犯罪のなんて多いことか。
人間がお金の奴隷となっている動かぬ証拠だ。

1965年製 ストラトキャスター
購入するという行為で得たもの。
その音以上に上記のようなことを
認識するという体験でした。

物欲を満たさないと、
新たな一歩を踏み出すきっかけも
今の弱い僕からは生まれない。

ハガネのように強い精神力が欲しい。
これもお金で買えないか。

話がそれました。

このギター、とにかくネックがすごくいい。
握った感じがピタッとフイットする。

購入してから3年後H氏から
購入した時の倍の金額で
ストラトキャスターを譲ってくれないかと
持ちかけられる。
函館のコレクターが探しているらしい。

もちろん断りました。
一度手放しちゃったら
もう2度と手にできないと思ったから。
後にも先にもギターを売却したのは
テレキャスター購入の頭金となった
レスポール・スタンダードのみ。

〈つづく〉

ストラトといえばこの人も好き。
47歳でこの世を去ったロリー・ギャラガ
彼の代名詞ともいうべきストラトは1961年製。
「BEAT CLUB」出演時の動画で「Used To Be」


Rory Gallagher-.Used To Be.Live Beat Club Videos ...

 

 

1965年製 ストラトキャスター 8回目

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1968年製 レスポール・リシュー。
僕の持っている59レスポール・リシューとは
まったくの別物。

もしかしたら僕のレスポールには
チャックがついてて
その中に別のギターが入っているのでは。
そんな疑念が頭をよぎる。

だけどそういうことなんだろう。

僕は以前から
フリーの「ポール・コゾフ」の音が大好き。

ドイツのTV番組「BEAT CLUB」出演時の
「オール・ライト・ナウ」
1970年「ワイト島フェスティバル」で鳴ってた
あの渇いた枯れたギターの音に
惚れ込んでいたのだが、
どうも僕のギターでは出せない。

スイッチやつまみを回しては
セッティングの試行錯誤を繰り返すが
ぜんぜんダメ。

僕のものは、どちらかというと、
B.Cリッチ的な音。
ちょっと湿度が高くて、
アダルトな洗練された音。
弦をはじいてから音が鳴るまで
一呼吸おく感じ。

しかしこの1968年製 レスポール・リシュー、
僕が憧れていた
「ポール・コゾフ」まんまの音が出る。
弦をはじいた瞬間に鳴る。
何も労せずあの渇いた音が鳴る。
もの凄い感動が体中駆け巡る。

H氏がレスポール好きな僕に
あれほどこのギターを勧めたのは
こういうことだったのかと気づく。

現在僕は
59ヒストリックコレクションの
レスポールを3台所有しておりますが
3台とも音は1968年製のものに
かなり肉薄しているものの
ニュアンス的にちょっと違う感じ。

1968年製はボディが鳴っているというか…。
料理に例えるならば、コクがあるというのか…。

あの音は1968年製でしか鳴らないし、
憧れの1959年型もしかりなんだろう。

1959年型はもちろん、1968年製も
今となってはいくらするもんだか?

〈つづく〉

フリーの「All Right Now」「BEAT CLUB」出演時の動画


FREE - All Right Now ( Live BEATCLUB Germany ...

1965年製 ストラトキャスター 7回目

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調整しておくとのことで
一週間後に受け取りに行く。

店に入ると、
H氏「おー。用意出来てるぞ」
そして「またいいのが入荷したぞ」と言って
またゴールドトップのレスポールを見せてくれた。
今度のはボロボロの年代物。

1968年製のレスポール・リシュー。
ボディ・トップは1ピースだと言ってました。
ピックアップがオリジナルの「p-90」ではなく
最近のハムバッカーに交換されているので
38万円でどうだと持ちかけられるが、
ストラトキャスター買ったばかりだしというと、
「お前の59レスポール・リシュー
買い取ってやるからどうだ」という。
僕はジミー・ペイジが好きだから、
やはりサンバーストの1本くらい
手元に置いておきたい

そう伝えると
「じゃ、オレが持ってる1968年製の
レスポール・リシューなんだけど
サンバーストカラーの珍しいやつ譲ってもいいぞ」
と言う。

ありがたいけどストラト買ったばかりで
お金ないからと断った。

H氏「しょうがないなー。
すごくいいギターなんだけどな」

1968年製のレスポール・リシューといえば
「ボストン」のトム・シュルツで有名。
日本ではチャーさんが所有しているはず。

気になりながら帰宅後、
以前僕とギターを買いに行って
1965年製 ストラトキャスター
サンバーストを購入した友達に
同じ年代のものを僕も購入したことを電話で告げ、
1968年製のレスポール・リシューの話をする。

ほどなく彼はそのレスポールを購入してしまった。

後日彼はそのギターを持参し僕の家に。
シールドをアンプに差し込み1音鳴らしたその瞬間。

その音に驚愕!

〈つづく〉

ボストンの「Don't Look Back」


Boston - Don't Look Back - YouTube

1965年製 ストラトキャスター 6回目

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そういったわけわけで
「キャシーの歌」をビートルズのコピーバンドの
彼の前で演奏したのでした。

その彼が帰ったあと、
H氏が「ちょうどお前に見せたいものがある」
と言ってカウンター内のショーケースから
何の変哲もなさそうな
1本の新品のゴールド・トップのレス・ポール
ニコニコしながら取り出す。

「えっ?これが何か?」

するとH氏がここを見てみろとニヤニヤしながら
ピック・ガードを指さす。

そこには「28ポイント」ほどの大きさで
JEFF BECK」と彫られている。

「ドヒャー!これってもしや!」

「そう!ジェフ・ベックギブソンに特注したものなんだ。
結局彼のものとはならず、オレんとこに来たんだ。
世界でただ1本!
これいらないか?100万円でいいよ」

そんな大金はとても工面できないし、
珍しいけど、今日はスモールヘッドの
ストラトキャスターがほしくてきた旨伝えると
掘り出し物があると言って
客席の後ろに掛かっているギターを僕に差し出す。
それが1965年製 ストラトキャスター

価格を聞いてその安さにビックリ。
その理由を尋ねると。
◎リフィニッシュされている。
◎1弦目のペグが交換されている。
◎ピックアップ・セレクターがオリジナルの
3段階から5段階に変更されている。

なるほど。

しかしこの価格で
スモールヘッドのストラトキャスター
手に出来る絶好のチャンス。

即購入を決意。

〈つづく〉

第1期ジェフ・ベック・グループの「Let Me Love You」
ボーカルはロッド・スチュワート

 


Jeff Beck - Let Me Love You - YouTube

1965年製 ストラトキャスター 5回目

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1980年頃
僕のコピー熱もいやが上にも高まり、
「アンジー」はもちろん「スカボローフェア」etc
ポール・サイモン
ありとあらゆるギター・プレイを研究。
変則チューニングとの出逢いも果たしました。
そういえば
翌年の1981年にはサイモン&ガーファンクルが
一夜だけの再結成を果たしましたね。

そんな状況の中1970年代初頭に活躍、
吉川忠英も在籍していた伝説のバンド「イースト」
僕よりもはるか上の世代のバンドなので、
まったく知識がありませんでしたが
その元メンバーの
瀬戸龍介さんが1981年当時、
「オールナイト・ニッポン」の
パーソナリティを務めてました。
活動の拠点はアメリカだったようです。

彼の低くて温かい声が僕は大好きでした。
確か最終回だったかな、
彼が番組の最後で3曲弾き語りをしました。
その中の1曲が「キャシーの歌」でした。
他には「早く家に帰りたい」と、
もう1曲は思い出せませんが。
サイモン&ガーファンクルの曲ばかりだったと思います。

ビートルズのコピーバンドの彼同様
僕も「キャシーの歌」は素通りしていた曲でした。
そんな地味な曲でしたが
瀬戸龍介さんのパフォーマンスは
オリジナル以上に僕を打ちのめしたのでした。

瀬戸龍介さんは
それほど有名人というわけでもなかったと思うし、
当時のトレンドからも外れてました。
だけど日本にも
こんな素敵な曲を書く人がいたんだと
思い知らされると同時に
嬉しさも込み上げてきました。

音楽の良さとは人気とは全く関係なく、
その音楽が自分に必要かどうかだけなんだと
時代に背を向けていた僕は、この時学びました。

〈つづく〉

イースト」の Beautiful Morningです。


East - Beautiful Morning - YouTube

 

 

1965年製 ストラトキャスター 4回目

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僕にも弾けと勧めてくるので
サイモン&ガーファンクルの
「キャシーの歌」を弾いた。
なんでこんなマイナーな曲をと、
彼はちょっと驚いていた。

1980年頃までに話がさかのぼります。
サザンに代表される
今でいうJ-popが全盛の時代。
サウンドもおしゃれだし。華やか。みんな大騒ぎ。

あまのじゃくな僕は
そういう空気にはなじめず無視。一切素通り。
それよりも僕は
アコーステックギターが大好きで、
今でこそアコギの達人と呼びたくなる方が
日本には大勢いますが、
当時のアコギを持つ日本のミュージシャンといえば、
歌の伴奏程度にしか役割を与えておらず、
それがどうしても受け入れられませんでした。
僕の目線はどうしても
海外ミュージシャンに向いてしまってました。

スタジオ・ミュージシャンの
石川鷹彦さんは昔も今も大好きですが。

そこで目をつけたのが
サイモン&ガーファンクル。
追い風となったのがなぜか長渕剛

当時、彼は「順子」という曲が大ヒットし、
ヘビー・ローテーションで
テレビ番組に出演されてました。
ある番組でバックバンドなしで
弾き語りで演っていたのですが、
歌も終わりエンディングで
サイモン&ガーファンクルの「アンジー」を披露。
彼ってアコギ上手なんだなと感心しました。

この「アンジー」という曲
デイヴィ・グレアムという
英国のミュージシャンの曲で
ポール・サイモンが渡英していた際
そこで知り合った
バート・ヤンシュやジョン・レンボーンから
伝授されたものらしい。

この曲やデイヴィ・グレアム奏法は、
当時のブリティッシュ・ロック・ミュージシャンにも
大きな影響を与えたそうです。
ジミー・ペイジもお気に入りだったとか。

Am G F Eというコード進行。

そういえば、ビートルズ
「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」
レッド・ツェッペリンの「天国への階段」にも
このコード進行が使われてます。

2006年にリリースされた
ディヴ・ギルモアのソロアルバム
「オン・アン・アイランド」
プロモーションで
英国のTV番組「ジュールズ倶楽部」に出演された時
ポール・サイモンも出演されてました。

彼が渡英していた時の
ディヴ・ギルモア絡みのエピソードも
少しだけ紹介され、
楽しそうにしていた彼等が印象的でした。

〈つづく〉

 

ディヴ・ギルモアのジュールズ倶楽部出演時の動画
客席で緑色の服を着たポール・サイモン
ギルモアの演奏を見守ってる様がチラッと映ります。


David Gilmour - Take A Breath (Live Jools Holland ...