がらくた通り

人によってはがらくた同然のものでも一個人の形成には不可欠だったりする。自我の源泉をたどる旅におつきあい頂けたら幸いです。

レスポール・レオズ・ヴィンテージ 11回目

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ところで僕のギターはどこ?
H氏に聞くとステージを指さす。
照明も落とされそろそろ始まるステージ。
そのステージ前に無造作に置かれている。

ここから見るとトラ目もほとんどなく、
写真の印象とぜんぜん違う。
ちょっと傾けると見える感じ。

今では自然な杢が好みの僕ですが、
当時はトラ目フリークだったため、
ちょっと地味な印象も受けました。

いざ手に持つとこのギターかなり重たい!
色は想像通りで満足。

家に持ち帰り、
早速1986年製レスポール・リシューの隣に並べてみる。
似ているけど細かな相違点も。

ギブソンロゴが細くてヘッドの上側
レスポールロゴがシルク印刷
◎シリアルナンバーが「L」から始まる
◎リアピックアップのエスカッションが薄い
◎アーチドトップのカーブがやや緩やか
◎ネックサイドのポジションマークが大きくベッコウ風
◎向かって左側のネックとボディーのジョイント部が12フレットの下側

見た目はなんだか1986年製レスポール・リシューの方が
59年型に近い。

肝心な音は?
期待したほどの違いはないように思われる。

1986年製よりも若干歯切れがよく
音の輪郭が
ちょっとだけはっきりしていて固い音。
湿った感じはしない。

ピックアップセレクターを真ん中にしてみる。
いわゆるハーフトーン
1986年製のようにこもった音はしないですが、
ややフロントピックアップの性格が強い。

ですが、1968年製レスポール・リシューのような音は
出してくれません。

〈つづく〉

1994年頃デビューした天才ベック
名盤オディレイ収録の「Jack-Ass」


Beck - Jack-Ass - YouTube

レスポール・レオズ・ヴィンテージ 10回目

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それから数週間後、
入荷の知らせをうけ
H氏のお店へ。

扉をあけてビックリ!
所狭しとギターが並べられている。
アメリカ出張の際買い付けたものが
届いたらしい。

印象に残っているところで、
1969年製と1970年製の
オール・ローズウッドの
テレキャスターが2本。
90万円くらいだったと思います。
このギターはビートルズの映画
「レット・イット・ビー」で
ジョージ・ハリスンが弾いてましたね。

1968年製ペイズリー模様の
テレキャスターが4本。
ピンクとブルーがそれぞれありました。
これは45万円くらいだったと思います。

テレキャスターでは
60年代シンラインもありました。
シンラインとはFホール付きで、
ボディ部分が空洞の
セミソリッド・ボディのこと。

あとは50年代と60年代のマーチンD-28。
50年代の方は70万円だったような。
60年代ギブソンJ-45もありました。

フェンダーのヴィンテージは
だんだん入手が難しくなってきたと
しみじみ語ってました。

そのため
グレッチのギターが多かった印象です。
珍しいところで60年代グレッチ
シルバージェットもありました。
エアロスミスのPV「デュード」という曲で
ジョー・ペリーが弾いているギターです。

しかしこのギター、
お店に届いたころには
ネックが折れていたそうです。

このギターは結局修理して
お店の専属バンドのギタリストのK氏が
60万円で購入しました。

その後彼は
ジェフ・ベックの「哀しみの恋人達」を
このギターで弾くようになりました。

〈つづく〉

エアロスミス「Dude (Looks Like A Lady)」


Aerosmith - Dude (Looks Like A Lady) - YouTube

 

レスポール・レオズ・ヴィンテージ 9回目

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そんな日常を過ごしていたある日。
H氏から1983年製のレスポール・59ヴィンテージは
やはりなかったけど、
レオズ・ヴィンテージが見つかったとのしらせ。

写真が手に入ったので見にこないかと
連絡を受ける。

早速お店に。

現物は長崎にあって、もし購入するのであれば
取り寄せるとのこと。

肝心の金額を聞くと
雑誌広告でよく見かける相場よりは安いけど
かなり高額。

H氏は明日からアメリカへ出張。
ビンテージ・ギターの仕入れだそう。
一週間後くらいに戻るから考えておいて
という言葉と写真を残しロスへ。

家庭もあり自由なお金も持てない僕。
嫁にも言いづらい。

毎日写真をみてはタメ息ばかり。
H氏との約束の時間もわずか。

意を決し嫁に打ち明ける。
僕の提案はこうだ。
小遣いの範囲でなんとかしたい。
無茶だけど
小遣いを半分にして5年ローンを組みたい。

こんなにほしいんだから
5年間くらいなんともない!
たとえ雀の涙ほどの小遣いでも耐えられる!

自分の小遣いの範囲ならばご自由にと
あっさり承諾される。

がしかし、ローンも終わり5年が過ぎ
現在もいまだに小遣い半分のまま。

ア、ア、あのヤ、ヤ、約束が。

睨まれるだけ。

この世はなんて理不尽なんだ〜。
バカヤロー!(泣)

嫁は僕の暴挙に内心腹を立てていたのだろう。
ごめんなさい。

一週間後H氏に
レオズ・ヴィンテージ購入の決心を伝える。

〈つづく〉

1994年頃好きだった
ブラック・クロウズ「Remedy」
これは1992年くらいの曲。


The Black Crowes - Remedy - YouTube

 

レスポール・レオズ・ヴィンテージ 8回目

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カレーを食べながら
H氏「ところでなんかほしいギターでもあるの?」
1983年製のレスポール・59ヴィンテージを
探してると告げると

H氏「難しいなー。ちょっと時間をくれ」

この日は
今度ライヴを見に来ると約束して、
店をあとに。

2~3日後、ライヴを見に行くことに。

ライヴには専属のバンドがいて、
ギターが2人いる5人編成。

この後よくライブに足を運ぶことになるのですが、
必ず演奏されたのが、
サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」
ジェフ・ベックの「哀しみの恋人達」
歌はドラマーの方が歌ってました。

メンバーはみんな僕よりも10歳以上も年上。

やはりとてつもなく上手。

「哀しみの恋人達」のコピーを
途中で投げ出してしまってた僕は
バンドのギタリストK氏の左腕ばかり
目で追っていました。

ブルース・ギタリスト必須の
チョーキングしてすぐミュートする
あの技が絶品!
そのプレイは表情豊かで
まさにギターが歌ってる!

しかし決まってライヴの後は
帰宅後オリジナルを聞きたくなるという
不思議な現象も。

翌年の1994年には「イーグルス」が再結成。
バンドも「ホテル・カリフォルニア」や
「ならず者」をレパートリーに。

「ならず者」はH氏がピアノで弾き語り。

えー!H氏ってこんなこともできるの?

H氏に詰め寄ると
実は音楽学校の出身であることが明らかに。

H氏、あなたってナゾのデパートです!

ある日、H氏にコピーバンドも感動するけど、
バンドの真価はオリジナルにあるのでは?
と問いただす。

H氏は僕の発言に対し
「音楽はそんなものではない
オリジナルはオリジナルだし
彼らは立派なミュージシャンだよ」

この奥の深い言葉にちょっと感動しました。

〈つづく〉

ジェフ・ベック「哀しみの恋人達」


ジェフ・ベック 哀しみの恋人たち Jeff Beck Cause We've Ended As Lovers ...

レスポール・レオズ・ヴィンテージ 7回目

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僕には創造することにおいて
感覚的に
女性にどうしてもかなわないと
思ってる部分があります。

それを努力で克服しようと
試みるのですが、
それはあくまでも
彼女たちをなぞっているだけ。
ただのもの真似です。

そうではなくて
こんなイメージです。

自分が経験した心のライブラリーの中から
必要な時、必要なものをその書棚から取り出す。
そしてそれを応用して表現したいのです。

つまりこれまでの経験からの結果として
それをきちっと理解し対象化し
表現をしたいのです。

彼女たちは小さい時からきれいなもの、
かわいいものに本能的に反応。
身につけるものも
華やかな色で彩られてます。

一方男の僕は
逆に怪獣やウルトラマンなど
汚い色彩に囲まれ
強いものに憧れて生きてきました。

この経験値の違いはどうやっても埋まらない。

草木染めを生業とし
定期的に個展もされている
僕と同い年の女性Aさん。

彼女にはお会いする度に、

「どう?女子力高まった?」
「どう頑張ったって女の感覚なんか
男につかめっこない、男は男でいいんだよ。
何つまんないこと考えてんの?」
と言って笑われます。

ちょっと気が楽になりますが、
やはり女性に対する劣等感が
消えたわけじゃありません。

創造において
同性で凄いなと思う人は
星の数ほどいます。
だけど努力次第では
そこに辿り着けるのでは?という
勘違いだといわれようが
希望も持てるのですが
異性の凄い人を目標にしてしまうと
その境地に辿り着ける気が
まったくしません。
絶望に近いものを感じます。

何か解決策は?と考えた結果
自分にないものに対して興味を持つこと。
これにつきるのでは。

冒頭で述べた
「ただのもの真似です」という言葉。

◎興味を持つという気持ちを持ちながら
 それを得る努力をしない。
◎心のどこかに出来ないのは
 男だからだという言い訳を用意している。

そんな自分がこの発言には隠れている。

あたりまえのことですが
そんな精神じゃいつまで経っても
「ただのもの真似です」なまま。

まだまだ努力がたりない。

〈つづく〉

英国モッズのリバイバル
オーシャン・カラー・シーンも好きです。
そのモッズの師匠というべき
ポール・ウェラーが名盤
「ワイルド・ウッド」をリリースした
1993年頃から
師匠のバックも務めることにもなります。


Ocean Colour Scene - Travellers tune - YouTube

レスポール・レオズ・ヴィンテージ 6回目

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H氏「カレー食べてみないか」
言われるがまま注文。
客席テーブルで向かい合いながら
H氏とカレーを食べることに。

意外にも見た目はちゃんとしていて美味しそう。
食べろよと促されて口に運ぶ。

H氏「どうだ?」

「ウマイ〜ッ」

H氏「まだできたばかりだから
もう少し煮込まないとダメだけどな」と
僕のリアクションに満足そう。

H氏のハンバーグもフワッフワで絶品。
これも手作りらしい。
僕は感心してしまいました。

意外!
あんなゴツイ人が
こんな美味しいものを作れるなんて!
ステキだよーH氏!

このカレー
深い味わいの中にも
ちょっとした酸味がさわやか。
辛さとあとから感じる甘さが
調和してひきだされるこの旨み。

早速美味しさの秘訣を聞くと、
トマトとヨーグルトを入れているらしい。
それ以上は教えてくれなかった。

実はこの体験が僕の料理好きの原点となったのです。

だから僕は最初はカレーばかり作ってました。
市販のルーの他に
H氏から伝授されたものだけじゃ飽きたらず
パイナップルやバナナ、コンソメ等々
いろんなもの入れて研究をするのです。

自分だけのオリジナル目指して。

僕の料理は邪道だらけ、
こんなこと言ったら
ちゃんとした料理人に怒られてしまうだろうけど
料理に秘められている自由さが大好き!

音楽、絵、模型にも共通した部分。

完成したものに自分が満足して
他の人にも気に入ってもらえたら最高!

常々思うことなのですが
子どもを育てるだけなら男でも可能です。
しかし、
子どもに母乳を与えることが可能な女性は
子育て自体が男よりも自然。

赤ちゃんがおなかがすいた時に
お乳がはり母乳が出る。

母と子は離れられないようにできている。

その関係性において、
どんなに頑張っても
男には女性を超えられない壁がある。

考えてみたら
子どもを作り、そして産み、育てる。
女性が最高の芸術家なのかもしれませんね。

〈つづく〉

1994年頃のイギリス国内で
ブリットポップ2大バンドと謳われた
オアシスとブラー。
僕はひねくれたポップセンスをまとった
ブラーの方が好みでした。

ブラー「She's So High」
1991年くらいの曲です。


Blur - She's So High - YouTube

レスポール・レオズ・ヴィンテージ 5回目

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4年ぶりにH氏が経営する
札幌地下鉄駅北24条駅隣の
ヴィンテージ・ギター屋さんへ。
このお店いつのまにか移転していました。
札幌地下鉄駅北24条駅から2分ほど歩いた場所。

ビルの1階に構えた店舗は広くてお店っぽい。
映画でよく目にするアメリカのパブみたい。

お店に入ると
H氏「よー。どうした?
今日はあいつも一緒じゃないのか?」

あいつとは
1968年製レスポール・リシューを購入した
僕の友達のことです。

友達だからといって
四六時中一緒ってわけでもないし
H氏に会うときにたまたま誘っていただけ。
それに結婚もして子どももいると
家族中心の生活になるもんなのだ。
そう告げると

H氏「お前らモーホーかと思ってたよ!ガハハハ」
H氏、そのテンションの高さどうしたの?

このお店、昼はカフェ。
夜は生演奏を聞かせるライブ・バーとなっていました。

カウンターが10人がけ程度。
4人がけテーブル席は20卓くらい。
ヴィンテージ・ギターのスペースは
入り口付近に設けられていました。
昔ほど数はない。

アメリカ人の店員さんもいる。

この店員さんはこのお店を教室に
マンツーマンで英会話を教える
先生でもあるらしい。

何か食べないかといってメニュー表を渡される。
カレー中心のメニューで
他にはハンバーグやら唐揚げ、ホットドックなど
メニューは50種類ほどと豊富。

これ全部H氏が作るの?

あのH氏と料理、
あまりにもアンバランス。
この冒険を受け入れるか否か。
僕は悩んだ。

そんな僕を察したのか
H氏「実は料理の勉強もしてたこともあるんだ」

H氏に対するナゾはますます深まります。

〈つづく〉

1994年はこのバンドに注目してました。
1997年にはストーン・ローゼズのマニも参加。
今でも愛してるよ〜。
プライマル・スクリーム「Rocks」


Primal Scream - ROCKS - 1994 - Live (Studio ...