がらくた通り

人によってはがらくた同然のものでも一個人の形成には不可欠だったりする。自我の源泉をたどる旅におつきあい頂けたら幸いです。

1965年製 ストラトキャスター 2回目

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レッド・ツェッペリンの「天国への階段」とともに
ギターの登竜門的なこの曲。
あまりにも魅力的で有名なこのギター・ソロ。
以前から楽譜も多数出回っていました。

だからこの曲に挑むのも
始めてではありませんでした。
昔からタブ譜を眺めながら
コピーに取り組んではいました。
途中までは順調なのだが、
譜面途中の「Arm〜〜〜〜」みたいな
記号のところでいつも挫折。
アームなしでは
リッチー・ブラックモア
あの感じが出せません。
テンション下がってそこで終わり。
それがトラウマとなり
「Arm〜〜〜〜」=「出来ない」
「僕はツェッペリンでいく」
という公式がめでたく完成。

しかしこの教則テープは譜面ではないので
この公式が出てこない。
しかも遅いテンポのバージョンを
「譜面」ではなく「自分の耳」を通すことにより
自分にも弾けそうだと感じました。

自己分析なので正しいかどうかわかりませんが、
技術的に腕が上がるというのは
「譜面」通りに弾けることではなく
自分の「耳」を通して、
弾いてる音を
1音ずつイメージできるかどうか
なのではないか?

つまり「耳」で聞いて
音がわからないということは、
まだその曲を弾くための
技術が備わっていないことなんだ。
そう感じました。

そんな紆余曲折の末
単純なもので、雲の上のアームを駆使した宇宙人が
急に身近な人に。

あんなに敬遠していたアームだけど、
今度はそれを駆使して
この名曲をぜひ再現したいという欲求に早変わり。
そう思うといてもたってもいられない。

ドアーズ(「ハートに火をつけて」という曲があります)ばりに
物欲に火がついた瞬間だ。

〈つづく〉

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