がらくた通り

人によってはがらくた同然のものでも一個人の形成には不可欠だったりする。自我の源泉をたどる旅におつきあい頂けたら幸いです。

レスポール・レオズ・ヴィンテージ 7回目

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僕には創造することにおいて
感覚的に
女性にどうしてもかなわないと
思ってる部分があります。

それを努力で克服しようと
試みるのですが、
それはあくまでも
彼女たちをなぞっているだけ。
ただのもの真似です。

そうではなくて
こんなイメージです。

自分が経験した心のライブラリーの中から
必要な時、必要なものをその書棚から取り出す。
そしてそれを応用して表現したいのです。

つまりこれまでの経験からの結果として
それをきちっと理解し対象化し
表現をしたいのです。

彼女たちは小さい時からきれいなもの、
かわいいものに本能的に反応。
身につけるものも
華やかな色で彩られてます。

一方男の僕は
逆に怪獣やウルトラマンなど
汚い色彩に囲まれ
強いものに憧れて生きてきました。

この経験値の違いはどうやっても埋まらない。

草木染めを生業とし
定期的に個展もされている
僕と同い年の女性Aさん。

彼女にはお会いする度に、

「どう?女子力高まった?」
「どう頑張ったって女の感覚なんか
男につかめっこない、男は男でいいんだよ。
何つまんないこと考えてんの?」
と言って笑われます。

ちょっと気が楽になりますが、
やはり女性に対する劣等感が
消えたわけじゃありません。

創造において
同性で凄いなと思う人は
星の数ほどいます。
だけど努力次第では
そこに辿り着けるのでは?という
勘違いだといわれようが
希望も持てるのですが
異性の凄い人を目標にしてしまうと
その境地に辿り着ける気が
まったくしません。
絶望に近いものを感じます。

何か解決策は?と考えた結果
自分にないものに対して興味を持つこと。
これにつきるのでは。

冒頭で述べた
「ただのもの真似です」という言葉。

◎興味を持つという気持ちを持ちながら
 それを得る努力をしない。
◎心のどこかに出来ないのは
 男だからだという言い訳を用意している。

そんな自分がこの発言には隠れている。

あたりまえのことですが
そんな精神じゃいつまで経っても
「ただのもの真似です」なまま。

まだまだ努力がたりない。

〈つづく〉

英国モッズのリバイバル
オーシャン・カラー・シーンも好きです。
そのモッズの師匠というべき
ポール・ウェラーが名盤
「ワイルド・ウッド」をリリースした
1993年頃から
師匠のバックも務めることにもなります。


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