がらくた通り

人によってはがらくた同然のものでも一個人の形成には不可欠だったりする。自我の源泉をたどる旅におつきあい頂けたら幸いです。

レスポール・レオズ・ヴィンテージ 4回目

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ショップがギブソンに発注したギターは
高額すぎて購入が無理なので、
1983年〜1985年あたりに
日本で発売になっていた
レスポール59ヴィンテージ購入の
決意を固める。

1986年製 レスポール・リシューを
購入した1987年当時、

そもそも僕はレスポール59ヴィンテージがほしくて
購入のためYAMAHAに足を運びます。

なぜYAMAHAにしたのか?
数年前偶然通りかかった時に
このお店のショーケースに
60年代の、もちろんラウンド・ショルダーの
チェリー・サンバーストの
ギブソンJ-45が飾られているのを発見。
それが強く印象に残っていたからです。

1981年に77年製のドレッドノート・タイプの
J-45を中古で購入した僕の目には
そのギターのラウンド・ショルダーは
眩しく映りました。
一目惚れしてしまったのです。

結局入手は叶いませんでしたが…。

その後このお店ではエピフォンの「カジノ」を購入。
映画「レット・イット・ビー」で
ジョン・レノンが弾いてたセミ・アコの
あのギターです。

その数年後レスポール・スタンダードも購入。

このお店に足を運ぶのは3度目でした。

店員に商品ほしい旨伝えると
ギブソンのカタログからはもう消えてて
59ヴィンテージは存在しないという。

生産ラインが変わって
59ヴィンテージはレスポール・リシューという
名称に変わったのだと説明を受ける。
中身は同じらしい。

同じなのに価格が10万円以上も安いのはなぜ?

この問いに
今は円高だから安いのだという。

そういえば円高差益還元セールという見出しの文字は
当時のギター雑誌の広告を賑わせていた。

ちょっと腑に落ちないが
当時楽器の知識もさほどない僕は
ないものねだってもしょうがないと
迷いもなくレスポール・リシューにしたのでした。

〈つづく〉

ヴォーカルが
ストーン・ローゼズイアン・ブラウン
思わせるシャーラタンズも好きでした
1995年発表の「Just Lookin」


the charlatans-just lookin - YouTube

レスポール・レオズ・ヴィンテージ 3回目

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レスポールはネックに角度があるため
ネックが折れるという事故があると
よく聞いていましたが…。

子どもが無事だった安心感と
大事な楽器が負傷をおった絶望感。
最高と最低。
この混乱が一気に僕を襲う。

この時のショックは今も忘れられません。
でも修理はしてません。

今も残るこの傷を眺めると
子どもの小さかったころと
90年代のあの時代の空気がオーバーラップして
妙に懐かしさが込み上げてきます。

自分に降り注ぐいいことも悪いことも
言葉通りのことばかりではありません。

時間が経てば悪いことだって
そこに自分なりの意味性とか重要性が
しっかり刻まれる。

積極的に悪いことは経験したくはありませんが
振り返ると悪いことの方が
大切でかけがえのない思い出に
なっていることが多いのかも。

楽しいことはすぐ忘れるけど
辛さはしっかり刻まれる。
それが血となり肉となる。

ものごとは考えようってことでしょうか?

そんな風に考えると
楽しいこと、辛いことを感じる感情って
随分と都合がよくて不思議ものだとも思います。

感情という名の家の扉をノックしてみる。
その中には自分に都合のいい物語が
どうも住みついているようです。

話がそれました。

幸い塗装にヒビが入った程度なので
演奏には支障ありません。

しかしこの出来事をきっかけに
このアジア圏製造疑惑のあるレスポールではなく
ちゃんとしたものを手にいれたくなります。

〈つづく〉

1993年はこのバンドにも夢中でした。
マニック・ストリート・プリーチャーズ
「Slash 'N' Burn」


Manic Street Preachers - Slash 'N' Burn - YouTube

 

 

レスポール・レオズ・ヴィンテージ 2回目

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1993年当時
僕には子どもができたばかりで
ギターどころではありません。
ほしいギターも雑誌で眺めて楽しむだけ。
何よりもショップがギブソンに発注したギターって
高額すぎて、手にいれるなんて夢のまた夢。
異次元の話。

1986年製 レスポール・リシューだって贅沢品。
今は楽器よりも
生まれたばかりの新しい命に夢中。

子どもを持つと、
生活も子ども中心のサイクルに。
自分のちっぽけな我など
子どもには通用しません。

子ども最強!
この世で一番強いのは
実は子どもなのです!

子育て。
こんな貴重な体験、
女性にだけ味あわせるのはもったいない。
僕も育児には積極的に参加。

その甲斐あってか首がすわってからは
子どもを寝かしつける役割は僕に。
僕が添い寝しなければ
寝てくれないからです。

軽い優越感を持ちながら、
大変だけども楽しい子育てを
体験させてもらいました。
感謝してます。

1994年、年も明けたころには、
つかまり立ちもできるようになりました。

他の子よりも早い成長に
この子は頭もきれるし凄い子になるのではと
早くも親バカ丸出し。

そんなある日
ちょっと目を離したスキに泣き声が!
駆け寄ると
子どもがバラバラに倒されたギターの下敷きに!
幸い子どもは無傷でした。
おそらくギターにつかまって立っていたようです。

本当子どもって目が離せません。
以降安全対策を強化しました。

ギターも無事だし
良かった良かったと思いながら後片付け。
最後、ストラトのクッション状態で倒れてた
1986年製 レスポール・リシューを掘り起こす。
その瞬間衝撃の映像が目に飛び込んでくる!

ナ、ナント!
ネックとヘッドのジョイント部の裏側に亀裂が。
ガ〜〜ン!

〈つづく〉

1993年といえば
このバンドに夢中でした。
スウェード「Metal Mickey」


Suede - Metal Mickey - YouTube

 

 

レスポール・レオズ・ヴィンテージ 1回目

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以前にもこのモデルのことを書きましたが、
当時の状況の詳細も織り交ぜて
ストラトに続き再度掲載させていただきます。

購入したのが1994年の2月か3月。

以前友達の1968年製 レスポール・リシュー
僕の1986年製のものとまるで別物だったと
お話ししましたが、
その彼曰く、
1980年代のギブソンはどこかアジア圏で
製造されたものだいう。

真偽はともかく、
1968年製とここまでかけ離れた音だと
まんざらウソでもなさそう。

1986年製の音が悪いという意味ではなく
あくまでも僕が求める音と違うという意味です。

この時期に製造されたレスポール・リシューも
当時多くのミュージシャンにも使用されています。
有名なところで
「スラッシュ」「レニー・クラヴィッツ

と思いきやなんと!
彼らのは年代こそこの時期近くのものだけど、
「MAX」という個人ビルダーに作ってもらったものらしい!

コンバージョンといって
ビンテージ・ギターの素材を流用しているらしい。

これも僕のものとはまったくの別物。
いったいギブソンの皮をかぶったレスポールって
何種類あるのだろう?
友達の発言にも信憑性が。

1992年くらいになると
1985年くらいから流通していた
レスポールリシューを見かけなくなる。
雑誌広告からも消える。

もうレスポールリシューは
販売カタログから
消えてしまったのだろうか?
当時の僕は不思議でなりませんでした。

後で知ることになるのですが
実は新たな製造ライン
ヒストリック・シリーズの前ぶれだったのです。
この時点では知るよしもありません。

それに代わって
1980年代後半から
雑誌広告でちょくちょく顔をのぞかせていたのが
ギブソンの製造ラインからはずれた
レスポールリシュー。
「レオズ・ビンテージ」「ギター・トレーダー」
1992年くらいからは
「ノーマンズ・レア・ギターズ」
「ジミー・ウォレス」

これらのショップが
ギブソンに発注した特注ギターに
興味を持つようになりました。

1995年くらいからは
先にあげた「MAX」も雑誌広告で見かけることに。

〈つづく〉

スラッシュがかつて在籍していた
ガンズ&ローゼズの「Sweet Child O' Mine」
1980年代はストラトタイプのギターが隆盛。
彼がジミー・ペイジ以来
レスポール復権の立役者となりました。


Guns N' Roses - Sweet Child O' Mine - YouTube

レスポール・レオズ・ヴィンテージ 1回目

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以前にもこのモデルのことを書きましたが、
当時の状況の詳細も織り交ぜて
ストラトに続き再度掲載させていただきます。

購入したのが1994年の2月か3月。

以前友達の1968年製 レスポール・リシューが
僕の1986年製のものとまるで別物だったと
お話ししましたが、
その彼曰く、
1980年代のギブソンはどこかアジア圏で
製造されたものだいう。

真偽はともかく、
1968年製とここまでかけ離れた音だと
まんざらウソでもなさそう。

1986年製の音が悪いという意味ではなく
あくまでも僕が求める音と違うという意味です。

この時期に製造されたレスポール・リシューも
当時多くのミュージシャンにも使用されています。
有名なところで
「スラッシュ」「レニー・クラヴィッツ

と思いきやなんと!
彼らのは年代こそこの時期近くのものだけど、
「MAX」という個人ビルダーに作ってもらったものらしい!

コンバージョンといって
ビンテージ・ギターの素材を流用しているらしい。

これも僕のものとはまったくの別物。
いったいギブソンの皮をかぶったレスポールって
何種類あるのだろう?
友達の発言にも信憑性が。

1992年くらいになると
1985年くらいから流通していた
レスポールリシューを見かけなくなる。
雑誌広告からも消える。

もうレスポールリシューは
販売カタログから
消えてしまったのだろうか?
当時の僕は不思議でなりませんでした。

後で知ることになるのですが
実は新たな製造ライン
ヒストリック・シリーズの前ぶれだったのです。
この時点では知るよしもありません。

それに代わって
1980年代後半から
雑誌広告でちょくちょく顔をのぞかせていたのが
ギブソンの製造ラインからはずれた
レスポールリシュー。
「レオズ・ビンテージ」「ギター・トレーダー」
1992年くらいからは
「ノーマンズ・レア・ギターズ」
「ジミー・ウォレス」

これらのショップが
ギブソンに発注した特注ギターに
興味を持つようになりました。

1995年くらいからは
先にあげた「MAX」も雑誌広告で見かけることに。

〈つづく〉

スラッシュがかつて在籍していた
ガンズ&ローゼズの「Sweet Child O' Mine」
1980年代はストラトタイプのギターが隆盛。
彼がジミー・ペイジ以来
レスポール復権の立役者となりました。
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マビの台所

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先日友人のもとに
韓国へ遊びに行っている知り合いから
メールや写真が送られてきました。

あまりにも美味しそうな韓国料理を
眺めているうちに食べたくなり
札幌市内の韓国料理店へ。

店内はこぢんまりとしている。
客の大半は女性。
サムギョプサル、サムゲタン
食べたことのない料理のオンパレード。

サムゲタンは鶏肉を箸でつつくと
すぐ崩れるほど軟らかく
その煮込んだスープがもち米にもしみわたり、
とても美味しかったです。

サムゲタン以外は食べ放題
他にはジャガイモとコーンのチヂミ、
コムタンスープ、ユッケジャンラーメンなど
食べました。

食べ過ぎて次の日の午前中は調子悪かったですが、
また行ってみたいお店です。
自分の年も考慮して、この次は食べ放題ではなく
単品にしようと思います。

◎場所/札幌市中央区南1条西5丁目20 郵政福祉札幌第一ビルB1F

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1965年製 ストラトキャスター 11回目(最終回)

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ストラトを手にしてからは
とりあえずマスターしたかった曲もコピーできて満足。

その後あまり手にすることもありませんでした。

音楽への情熱も薄らいできた2007年
突如バンド結成。
メンバーはY君と僕のたった2人。
その後ドラムも加わりそれらしく。
みんなで曲を作るという約束でしたが
なんとなく僕にその役割が。

曲作りの時いつも手にしていたのが
このストラトです。

その後22歳の若い女性が
ボーカルとして加わり
ステージに上がることを目標に
スタジオでリハーサルを重ねるのですが
それも束の間ドラムが脱退。
ドラムの穴を埋めるべく試行錯誤。
しかしその1年後ボーカルの彼女も脱退。

また2人になってしまいましたが、
数ヵ月後幸い新たなドラマーが
加わってくれたのですが
Y君が音楽性が合わないといって
とうとう2012年に解散。
結局一度もステージに上がらずじまい。

バンドって難しいと思いました。

曲を作るという役割を与えられた僕ですが、
基本を僕が作るのはいいけど
残りのメンバーがそこにアイディアを注いで
完成させるという形でやろうと提案。

そうしないと僕のバンドになってしまうと
危惧したからです。

提案は立派だけど、
それが原因となり曲はすべて未完成。
スタジオにはいっては試行錯誤。
曲も骨格が壊され別物になったり。

この経験から学びました。
曲というのは
作り手が最期まで責任を持って
リーダーシップを持って
完成させなければならないということ。
そうでなければ自分の想像する完成形と
ほど遠い作品となってしまう。

僕にはこの時期に作った未完成の曲が
何曲かあります。
これらの曲を完成させることが
バンドと曲に対するせめてもの
供養だと思ってます。

いつかご紹介させていただいた
「君にあえて良かった」という曲も
その中の1曲です。
ギターと歌以外はすべて打ち込み。
ギターはこの1965年製 ストラトキャスターです。

アンプのみで歪ませて、
エフェクター「コーラス」のみ。

MACに入っているアプリ「GarageBand」で作りました。
ぜひ聞いてみてください!
ご感想などお聞かせいただければ幸いです。